ウェブログ - 最新エントリ
ヘッダーナビゲーション
現在のカテゴリー位置
わからない モリー・ケロッグ先生インタビュー 2009/11/10 11:39 pm
共訳者のAsakoさんが、モリー・ケロッグ先生にインタビューした内容を自身のブログで紹介しています。
もちろん日本語です。
Asakoさんは、ニューヨーク在住の栄養士で、大学でモリー・ケロッグ先生の講義を受講したのをきっかけに、私に彼女の著書を日本で紹介したいと言ってきました(以前に私のところにいたことがあったのです)。それで、国内の出版社を探し、現在は、雑誌『臨床栄養』(2009年7−12月号)にわたしとの共訳でヒント集を連載中というわけです。モリー先生のワークショップにも参加していて面識があるので、翻訳していてわからないことはAsakoさんを通して直接モリー先生に電話かメールで聞いてもらっています。
ブログに掲載されている著者インタビューは、Asakoさんがメールで質問をして、それに答えてもらうという形で実現しました。
読者には意外かもしれませんが(というか、わたしには意外でした)、米国でも栄養士はあまりカウンセリングの授業は受けていないようです。
これは、看護師や保健師とは異なり(たぶん)、栄養士が理科系の職業であることが裏目にでているのではないかと、わたしは最近思うようになりました。
わたし自身、理科系(薬剤師、いちおう)で大学院も出たので、心理学・精神医学にはかなりの偏見があったからです。
偏見については、また時間のあるときに書くことにしますが、基本的にモリー先生のヒント集は、理論的な部分よりも、日々の実践活動におけるちょっとした技法の紹介という形をとっているので、エビデンスがどうとか頭でっかちに論わなくてもすみます。少なくとも、読んでいて、これはエビデンスがあるのだろうか、と感じる部分はほとんどありません。常識的に考えてそのとおりだと思えることが大半です。
もちろん、常識的な内容であってもなくても、その技法を適用した場合の効果が論文として発表されているかどうかが、エビデンスというレベルでは問題になりますが、そこも一応クリアしています。こんなにエビデンスがあるカウンセリング技法というのは、かえって疑わしく思えてしまうほどです。
もちろん日本語です。
Asakoさんは、ニューヨーク在住の栄養士で、大学でモリー・ケロッグ先生の講義を受講したのをきっかけに、私に彼女の著書を日本で紹介したいと言ってきました(以前に私のところにいたことがあったのです)。それで、国内の出版社を探し、現在は、雑誌『臨床栄養』(2009年7−12月号)にわたしとの共訳でヒント集を連載中というわけです。モリー先生のワークショップにも参加していて面識があるので、翻訳していてわからないことはAsakoさんを通して直接モリー先生に電話かメールで聞いてもらっています。
ブログに掲載されている著者インタビューは、Asakoさんがメールで質問をして、それに答えてもらうという形で実現しました。
読者には意外かもしれませんが(というか、わたしには意外でした)、米国でも栄養士はあまりカウンセリングの授業は受けていないようです。
これは、看護師や保健師とは異なり(たぶん)、栄養士が理科系の職業であることが裏目にでているのではないかと、わたしは最近思うようになりました。
わたし自身、理科系(薬剤師、いちおう)で大学院も出たので、心理学・精神医学にはかなりの偏見があったからです。
偏見については、また時間のあるときに書くことにしますが、基本的にモリー先生のヒント集は、理論的な部分よりも、日々の実践活動におけるちょっとした技法の紹介という形をとっているので、エビデンスがどうとか頭でっかちに論わなくてもすみます。少なくとも、読んでいて、これはエビデンスがあるのだろうか、と感じる部分はほとんどありません。常識的に考えてそのとおりだと思えることが大半です。
もちろん、常識的な内容であってもなくても、その技法を適用した場合の効果が論文として発表されているかどうかが、エビデンスというレベルでは問題になりますが、そこも一応クリアしています。こんなにエビデンスがあるカウンセリング技法というのは、かえって疑わしく思えてしまうほどです。
このエントリーの情報
栄養社会学 「実験」を「試みる」に 2009/11/03 10:38 pm
実際、そのレベルというのは、『実験』というタイトルでゲシュタルト療法の実験の概念を説明する回では、そもそも「実験」という単語自体が難しくてだめだということになった。栄養士は実験なんて言葉をみただけで拒否反応を示すから、というのである。
栄養士は理科系だと自認していると思っていたが、どうもそんなことはないらしい。
その割には、理科系的な狭い閉じた方法論の世界に生きているので、カウンセリング技法のようなものを評価するための尺度を持てない。どんな技法であっても自然科学で言うような根拠を持たないから無価値なのであり、しかもどれもこれも似たようなものでたいした違いはないと考えている。そのくせ、代案になるようないかなる方法論も持てないので、実際にすることは支離滅裂にならざるをえない。
「実験」をやさしい言葉で言い換えるのは難しい。ここではデータを集めるのが重要な目的のひとつだが、「試す」とか「試みる」ではその部分が抜け落ちてしまう。かといって「情報収集」ではなんのことかよくわからないし、「リハーサル」では、一回限りの試行ではなくなってしまう(本番を前提にしないリハーサルなどありえない)。
結局、やさしい言葉ということで、「行動を試みる」に落ち着いたのだが、意味は分かってもある概念を代表する用語にはとてもなりそうにない。
ここはやはり「実験」しかないような気がする。
栄養士は理科系だと自認していると思っていたが、どうもそんなことはないらしい。
その割には、理科系的な狭い閉じた方法論の世界に生きているので、カウンセリング技法のようなものを評価するための尺度を持てない。どんな技法であっても自然科学で言うような根拠を持たないから無価値なのであり、しかもどれもこれも似たようなものでたいした違いはないと考えている。そのくせ、代案になるようないかなる方法論も持てないので、実際にすることは支離滅裂にならざるをえない。
「実験」をやさしい言葉で言い換えるのは難しい。ここではデータを集めるのが重要な目的のひとつだが、「試す」とか「試みる」ではその部分が抜け落ちてしまう。かといって「情報収集」ではなんのことかよくわからないし、「リハーサル」では、一回限りの試行ではなくなってしまう(本番を前提にしないリハーサルなどありえない)。
結局、やさしい言葉ということで、「行動を試みる」に落ち着いたのだが、意味は分かってもある概念を代表する用語にはとてもなりそうにない。
ここはやはり「実験」しかないような気がする。
このエントリーの情報
栄養社会学 テレビの番組と同じレベルでは専門家とは言えない 2009/10/28 9:33 pm
とはいうものの、やれやれってかんじ。
Aさんによれば、そんなものは、もういくらでも日本にあるんだそうだ。
「そんなもの」と彼女がいうのは、わたしがこの一年くらい日本での紹介を熱心にサポートしているモリー・ケロッグ先生の栄養カウンセリングのヒント集(以下『ヒント集』と略す)のことである。
というも、彼女が親切にも教えてくれたのだが、「大学では栄養カウンセリング論という授業があり、参考書のなかには主として対話例からなる本があり、しかもそれらには病態別の対話例もついている」からである。
「もちろん、80以上も(ヒントが)あるなら、ちがうやつもあるかもしれませんけど」と付け加えることも忘れなかった(このあたり60年代のルポ記事のパロディっぽく)。
とりあえず、わたしは『ヒント集』を日本で最初に紹介しようとしているわけであり、それが雑誌『臨床栄養』にも連載されていることを彼女は知っている。その程度の目新しさがないわけではないはずなのだが。
さすが、ムカっとしたが、相手は私の半分の年齢であり、新卒での就職先を3ヶ月で辞めたつわもの(というより世間知らず)である。何も考えてないはずだと思ったので、そのときは笑って聞き流した。
実際、後での態度も別に屈託がないので、ほんとうに何も考えていなかったようだ。最近の20代は、なんていい始めると老いの繰言とかいわれそうだ。
とはいえ。
このAさんの発言は、よい反省材料にもなった。
要するに、私達のやっている紹介は、普段テレビしかみないような栄養士には、なんにも違いがわからないという事実である。栄養士が悪いのかテレビが悪いのかはよくわからないが、極端な話、キリスト教もイスラム教も同じようなものだと言っているようなものらしい。
わたしは反省することにした。
ひょっとしたら、彼女のいうように、実はなにも違わないという可能性もある。というのが反省の1。
実質的に違いがあるのであれば、私達のやり方ではそれを分からないヒトがたくさんいる。というのが反省の2。
もちろん反省材料として貴重ではあっても、それだけのことではある。
Aさんによれば、そんなものは、もういくらでも日本にあるんだそうだ。
「そんなもの」と彼女がいうのは、わたしがこの一年くらい日本での紹介を熱心にサポートしているモリー・ケロッグ先生の栄養カウンセリングのヒント集(以下『ヒント集』と略す)のことである。
というも、彼女が親切にも教えてくれたのだが、「大学では栄養カウンセリング論という授業があり、参考書のなかには主として対話例からなる本があり、しかもそれらには病態別の対話例もついている」からである。
「もちろん、80以上も(ヒントが)あるなら、ちがうやつもあるかもしれませんけど」と付け加えることも忘れなかった(このあたり60年代のルポ記事のパロディっぽく)。
とりあえず、わたしは『ヒント集』を日本で最初に紹介しようとしているわけであり、それが雑誌『臨床栄養』にも連載されていることを彼女は知っている。その程度の目新しさがないわけではないはずなのだが。
さすが、ムカっとしたが、相手は私の半分の年齢であり、新卒での就職先を3ヶ月で辞めたつわもの(というより世間知らず)である。何も考えてないはずだと思ったので、そのときは笑って聞き流した。
実際、後での態度も別に屈託がないので、ほんとうに何も考えていなかったようだ。最近の20代は、なんていい始めると老いの繰言とかいわれそうだ。
とはいえ。
このAさんの発言は、よい反省材料にもなった。
要するに、私達のやっている紹介は、普段テレビしかみないような栄養士には、なんにも違いがわからないという事実である。栄養士が悪いのかテレビが悪いのかはよくわからないが、極端な話、キリスト教もイスラム教も同じようなものだと言っているようなものらしい。
わたしは反省することにした。
ひょっとしたら、彼女のいうように、実はなにも違わないという可能性もある。というのが反省の1。
実質的に違いがあるのであれば、私達のやり方ではそれを分からないヒトがたくさんいる。というのが反省の2。
もちろん反省材料として貴重ではあっても、それだけのことではある。
このエントリーの情報
健康情報学 進化クリーチャー 2009/09/07 9:21 pm
デュエルマや遊戯王が、従来の将棋や囲碁と異なるのは、頻繁に新機軸が導入されることだろう。
もちろん将棋や囲碁にも新しいルールができたりする。ということは、『ヒカルの囲碁』でずいぶん勉強した。
だが、カードゲームの比ではない。というか、カードゲームはゲームとしてはまったく発展途上にあるということか。カードが売れなくなると困るというのがその根底にあるのは明白だけど。
その商業主義は好きになれないが、常に新しいものを指向するという精神は見習っても良い。常に新しいものを求め続ける姿勢はとても大切なことだ。
それを他人に邪魔されたからというような下らない理由でするのは気恥ずかしいことだが、後ろ向きのままでいるよりはよほど良いと考えることにした。
進化というほどではないが、よそのニュースサイトにはまったく載っていないニュースを作る決心がついたのは、全くそのおかげなのだから。
もちろん将棋や囲碁にも新しいルールができたりする。ということは、『ヒカルの囲碁』でずいぶん勉強した。
だが、カードゲームの比ではない。というか、カードゲームはゲームとしてはまったく発展途上にあるということか。カードが売れなくなると困るというのがその根底にあるのは明白だけど。
その商業主義は好きになれないが、常に新しいものを指向するという精神は見習っても良い。常に新しいものを求め続ける姿勢はとても大切なことだ。
それを他人に邪魔されたからというような下らない理由でするのは気恥ずかしいことだが、後ろ向きのままでいるよりはよほど良いと考えることにした。
進化というほどではないが、よそのニュースサイトにはまったく載っていないニュースを作る決心がついたのは、全くそのおかげなのだから。
このエントリーの情報
健康情報学 よくわからない 2009/09/03 2:01 am
よくわからないのが、
http://www.drakahige.com/NEWS/DAILY/2008/2008082503.shtml
のようなサイトの存在である。他にもHealthDayのニュースを全文日本語に訳して紹介しているサイトが存在する。
これはどういうことなのだろうかと思っていたら、どうも上記サイトは公式にニュースの配信を受けているが、他はそうではなかったようで、確認した限りでは、他はすべて更新が止まっているか、別の配信元に変更されている。
中には、わがリンクDEダイエットから堂々とコピー&ペーストしているところもあった。
おいおい。
こんなことをされたら、こちらがなにか悪事に加担しているようにみえるじゃないか。もちろん、実際には、こちらは被害者なのだが、そうは受け取らないヒトも存在するはずである。
特に利権が絡んでいればなおさらである。
まったく、しゃれになっていないじゃないか。こちらは実際やっかいなことになっているだ
http://www.drakahige.com/NEWS/DAILY/2008/2008082503.shtml
のようなサイトの存在である。他にもHealthDayのニュースを全文日本語に訳して紹介しているサイトが存在する。
これはどういうことなのだろうかと思っていたら、どうも上記サイトは公式にニュースの配信を受けているが、他はそうではなかったようで、確認した限りでは、他はすべて更新が止まっているか、別の配信元に変更されている。
中には、わがリンクDEダイエットから堂々とコピー&ペーストしているところもあった。
おいおい。
こんなことをされたら、こちらがなにか悪事に加担しているようにみえるじゃないか。もちろん、実際には、こちらは被害者なのだが、そうは受け取らないヒトも存在するはずである。
特に利権が絡んでいればなおさらである。
まったく、しゃれになっていないじゃないか。こちらは実際やっかいなことになっているだ
このエントリーの情報
健康情報学 日本語翻訳権というもの 2009/08/24 9:17 pm
私が10年ほど前からやっているリンクDEダイエットは、英語圏のニュースサイトに紹介された英語の健康・栄養ニュースを、100-200字程度の日本語で簡単に紹介するサイトである。
アクセス数はせいぜい100人/日といったところで、ニュースサイトとしてはほとんど取るに足らない存在といってよい。
…と、今日までは思っていたのだが。
実は、自身の不勉強のせいで、ある米国健康ニュースサイトの日本語版が存在していることを見過ごしていたために、今日そのサイトから、リンクDEダイエットの日本語での紹介(と機械翻訳のリンク)は、日本語翻訳権を侵害するものであるというクレームの電話がかかってきてしまったというわけなのである。
他人の利権を侵害するつもりなどなかったが、そもそも侵害というからには、なにかご迷惑をおかけしたという事実があるに違いなく、それは取りも直さず、うちのサイトにも少しは存在影響が(ネガティブに、だが)認められたということで、オタク以外にはその存在すら知らないと思っていたわたしは狐につままれたみたいな気分になった。
確かに日本語翻訳の権利を保有する団体が存在するならば、逐語訳ではない簡略な紹介文であっても、それが権利を侵害している可能性があることは私にもよくわかる(例えば、ニュースに関して日本語で行う一切の権利を契約しているかもしれない。その有効性は別問題だ。XXXのサイトは健康ニュースを流していると書いただけでも権利侵害になりうる)ので、現在はもうすべてのリンクを削除した(一部別サイトで機械翻訳も使えないところに少し残っているがこれも削除予定)。
そもそも日本語で(ただで)読めるのなら、わざわざうちで紹介する必要はない。他人の権利を侵害するつもりももうとうなかった(だから他のサイトで日本語で報道されたものはかなり以前から採択しないようにしている。今回も知っていたらしなかった)。
さらに言い訳するなら、一年ほど前から、うちが毎日ニュースを探している米国の国立医学図書館のサイトに、民間機関の配信するニュースが少しずつ増えていたのを見過ごしたのは重要なポイントに思われる。今日クレームを受けて確認したところ、ほぼすべてのニュースが民間機関(HealthDayとReuter Health)の配信になっていた。
もうオリジナルのニュースを作るのはやめてしまったようなのだが、まさか国立のサイトが民間ニュースだけを流すようになるとは、さすがに想定外だった。
そろそろうちのサイトのサービスも根本的に見直す時期に来ているのかもしれない。
アクセス数はせいぜい100人/日といったところで、ニュースサイトとしてはほとんど取るに足らない存在といってよい。
…と、今日までは思っていたのだが。
実は、自身の不勉強のせいで、ある米国健康ニュースサイトの日本語版が存在していることを見過ごしていたために、今日そのサイトから、リンクDEダイエットの日本語での紹介(と機械翻訳のリンク)は、日本語翻訳権を侵害するものであるというクレームの電話がかかってきてしまったというわけなのである。
他人の利権を侵害するつもりなどなかったが、そもそも侵害というからには、なにかご迷惑をおかけしたという事実があるに違いなく、それは取りも直さず、うちのサイトにも少しは存在影響が(ネガティブに、だが)認められたということで、オタク以外にはその存在すら知らないと思っていたわたしは狐につままれたみたいな気分になった。
確かに日本語翻訳の権利を保有する団体が存在するならば、逐語訳ではない簡略な紹介文であっても、それが権利を侵害している可能性があることは私にもよくわかる(例えば、ニュースに関して日本語で行う一切の権利を契約しているかもしれない。その有効性は別問題だ。XXXのサイトは健康ニュースを流していると書いただけでも権利侵害になりうる)ので、現在はもうすべてのリンクを削除した(一部別サイトで機械翻訳も使えないところに少し残っているがこれも削除予定)。
そもそも日本語で(ただで)読めるのなら、わざわざうちで紹介する必要はない。他人の権利を侵害するつもりももうとうなかった(だから他のサイトで日本語で報道されたものはかなり以前から採択しないようにしている。今回も知っていたらしなかった)。
さらに言い訳するなら、一年ほど前から、うちが毎日ニュースを探している米国の国立医学図書館のサイトに、民間機関の配信するニュースが少しずつ増えていたのを見過ごしたのは重要なポイントに思われる。今日クレームを受けて確認したところ、ほぼすべてのニュースが民間機関(HealthDayとReuter Health)の配信になっていた。
もうオリジナルのニュースを作るのはやめてしまったようなのだが、まさか国立のサイトが民間ニュースだけを流すようになるとは、さすがに想定外だった。
そろそろうちのサイトのサービスも根本的に見直す時期に来ているのかもしれない。
このエントリーの情報
栄養社会学 展開栄養学の構図 2009/07/27 10:08 pm
展開医療とか橋渡し研究と呼ばれる研究領域は、T1とT2というほとんど名称以外には重なることのないふたつに分裂している。一般的な影響の大きさからいえば、T2のほうが重要だが、誰にも理解しやすいために認知度も予算配分もT1にほとんどいっているのが現状らしい。
日本でも、橋渡し研究という研究分野に文部科学省が予算をつけているが、T2はおそらくその領域と認識されてもいないと思う。
ところで、問題は栄養学である。
実は、栄養学というのは、T1もT2もおなじように盛んであり、しかも医学全体としてはT1とT2の研究者はまったく重ならないのとは異なり、比較的重なる部分が多いという特徴がある。
ということは、ひょっとしたら理想的な展開研究が行われる学問分野なのである。
日本でも、橋渡し研究という研究分野に文部科学省が予算をつけているが、T2はおそらくその領域と認識されてもいないと思う。
ところで、問題は栄養学である。
実は、栄養学というのは、T1もT2もおなじように盛んであり、しかも医学全体としてはT1とT2の研究者はまったく重ならないのとは異なり、比較的重なる部分が多いという特徴がある。
ということは、ひょっとしたら理想的な展開研究が行われる学問分野なのである。
このエントリーの情報
栄養社会学 展開栄養学あるいは橋渡し研究について 2009/07/26 9:41 pm
もちろん、こんな言葉はよそには存在していない。
「えいよう・こみゅーん」とこのブログが栄養社会学と同様初出ということになる。
わたしはそんなに極端なことをいっているわけではない。PubMedにはいくらでも展開(Translational)な医療やら研究やらの文献があるのだから。
もっとも、栄養学というのは、以前証拠に基づく栄養学というものを言い出した人たちがいて、その人たちは、なんとそれ以外の栄養学が証拠に基づいていないと断言した。
それってどういうこと?
証拠に基づく医療というものがあり、これは、証拠というのはヒトを対象にした疫学論文のこと、場合によっては生理学的な論文も含む。医療というのは、医療現場の実践活動、つまり医療活動そのもののことである。
要するに論文を読まないで勘に頼るのはやめて文献を調べなさい、という新しい医療の実践法だった。
ところが、証拠に基づく栄養学においては、証拠というのがヒトを対象にした疫学論文のことという点は同じだが、栄養ではなくてそのものずばり栄養学研究すべてを対象にしたのでおかしなことになった。
証拠に基づく医療の医療(medicine)がもし、すべての医学研究を意味するとしたらどうだろう?
Natureに掲載される基礎研究の何割かは医学研究である。それらは証拠に基づくだろうか? 答えは否である。基礎実験は通常動物か培養細胞を対象として行われる。
では、それは証拠に基づかないのでだめなのかといえば、そんなことはない。EBMもそんなことは一度もいっていない。medicineはあくまでも現場の医療であって医学研究などではまったくないからである。
EBNの提唱者は英語が日本語(東京方言)よりも得意だと聞いているので、解釈を誤ることなどありえないだろうから、これはかなり確信犯的な振る舞いだと想定するのが理に適っている。
でも、なにを確信していたのだろうか?
「えいよう・こみゅーん」とこのブログが栄養社会学と同様初出ということになる。
わたしはそんなに極端なことをいっているわけではない。PubMedにはいくらでも展開(Translational)な医療やら研究やらの文献があるのだから。
もっとも、栄養学というのは、以前証拠に基づく栄養学というものを言い出した人たちがいて、その人たちは、なんとそれ以外の栄養学が証拠に基づいていないと断言した。
それってどういうこと?
証拠に基づく医療というものがあり、これは、証拠というのはヒトを対象にした疫学論文のこと、場合によっては生理学的な論文も含む。医療というのは、医療現場の実践活動、つまり医療活動そのもののことである。
要するに論文を読まないで勘に頼るのはやめて文献を調べなさい、という新しい医療の実践法だった。
ところが、証拠に基づく栄養学においては、証拠というのがヒトを対象にした疫学論文のことという点は同じだが、栄養ではなくてそのものずばり栄養学研究すべてを対象にしたのでおかしなことになった。
証拠に基づく医療の医療(medicine)がもし、すべての医学研究を意味するとしたらどうだろう?
Natureに掲載される基礎研究の何割かは医学研究である。それらは証拠に基づくだろうか? 答えは否である。基礎実験は通常動物か培養細胞を対象として行われる。
では、それは証拠に基づかないのでだめなのかといえば、そんなことはない。EBMもそんなことは一度もいっていない。medicineはあくまでも現場の医療であって医学研究などではまったくないからである。
EBNの提唱者は英語が日本語(東京方言)よりも得意だと聞いているので、解釈を誤ることなどありえないだろうから、これはかなり確信犯的な振る舞いだと想定するのが理に適っている。
でも、なにを確信していたのだろうか?
このエントリーの情報
栄養社会学 データセンターのほうが安心 2009/07/23 9:39 pm
日本のコンピュータメーカーの一二を争うような会社が運営するデータセンターが実際にどのようなものか、全く知らないので、これは本当にただの推測に過ぎないのであるが、そこは恐らくこんな感じではないだろうか?
ヒトには寒いくらいクーラーが効いていて、クーラーはもちろん複数系統でバックアップされている。
電源容量も充分あって、これも複数系統でバックアップされている。
無停電電源はもちろんついている。もしかしたら非常用自家発電装置もついているかもしれない。
データセンターに入るためはIDカードや指紋認証などのセキュリティチェックを受けなければならない。
くだんの会社が運用しているマシンであれば、24時間体制で緊急時の対応をしてくれる。万が一マシンが暴走しても、10分以内に再起動してくれる。最悪、クラッシュしても、直近のバックアップから、3時間以内に代替マシンにリストアしてくれる。もしくは常にミラーリングされたマシンが準備されている。
もちろんそれにはそれなりの対価が必要なはずだが、それは必要経費である。
半日といえどもサーバを止めてはいけないような場合にはそれだけの価値は十分にあるはずだ。銀行のATMや自動改札のようなシステムならもっと万全の体制が必要になるかもしれない。
ところで、Yahoo!でトップニュースに取り上げられると一日で100万件近いアクセスが期待できる。ということはYahoo!自体はそれ以上のアクセスがあるということで、そのような巨大なメディアにはすでに社会的使命があると考えるべきであって、やはり一瞬たりともサーバが止まることがあってはならないということになるだろう。
さて、問題はわたしたちのこの零細企業的な営みについてである。
データセンターのほうが安心であることは、わたしたちの零細企業には上記のどれも備わっていないという事実から明白なのだが、どうやらサーバをどこに置くかを決めるのは、それ以外の理由のほうが重要らしい。
一瞬たりとも止まってはいけないのなら、それ以外の選択肢は(たぶん)ない。というのは、零細企業では、すべてをまかなう予算などどこにもないからだ。クーラーに数百万出せばすむという問題ではないのだ。
なのに、クーラーだけ?
第一、過去にクーラーが止まったことは数回あったが、サーバは止まらなかった。ユーザの誰も、自分のアクセスしているサーバが50度近くあることなど気がつかなかったはずである。
つまりクーラーが壊れても数時間は耐えるのだから、問題はいかに早く室温の異常上昇を検知するかということのほうがより重要だ。ドアと窓を開ければクーラーなしでもなんとか持ちこたえるかもしれない。真夏日のお昼過ぎにはこの限りではないが平日なら職員がたくさんいる。故障が起きるのが休日の可能性は30%以下だから、休日の真昼の可能性はもっと少ない。
いずれにしても、最初の答えに戻ってしまうのだが、ひとつの置き場所にこだわる必然性がどこにもない以上、零細企業らしくもっといろいろな選択肢を検討するべきだし、それ以上に、24時間止まってもほとんど影響がないシステムのなにをいったい心配する必要があるのか、ということである(毎年12月には定期点検で24時間止まる)。
なお、うちを零細企業と呼ぶことに違和感を覚える方は少なからず存在しそうなので、あくまでも話を単純にするための方便に過ぎないことをお断りしておく。
ヒトには寒いくらいクーラーが効いていて、クーラーはもちろん複数系統でバックアップされている。
電源容量も充分あって、これも複数系統でバックアップされている。
無停電電源はもちろんついている。もしかしたら非常用自家発電装置もついているかもしれない。
データセンターに入るためはIDカードや指紋認証などのセキュリティチェックを受けなければならない。
くだんの会社が運用しているマシンであれば、24時間体制で緊急時の対応をしてくれる。万が一マシンが暴走しても、10分以内に再起動してくれる。最悪、クラッシュしても、直近のバックアップから、3時間以内に代替マシンにリストアしてくれる。もしくは常にミラーリングされたマシンが準備されている。
もちろんそれにはそれなりの対価が必要なはずだが、それは必要経費である。
半日といえどもサーバを止めてはいけないような場合にはそれだけの価値は十分にあるはずだ。銀行のATMや自動改札のようなシステムならもっと万全の体制が必要になるかもしれない。
ところで、Yahoo!でトップニュースに取り上げられると一日で100万件近いアクセスが期待できる。ということはYahoo!自体はそれ以上のアクセスがあるということで、そのような巨大なメディアにはすでに社会的使命があると考えるべきであって、やはり一瞬たりともサーバが止まることがあってはならないということになるだろう。
さて、問題はわたしたちのこの零細企業的な営みについてである。
データセンターのほうが安心であることは、わたしたちの零細企業には上記のどれも備わっていないという事実から明白なのだが、どうやらサーバをどこに置くかを決めるのは、それ以外の理由のほうが重要らしい。
一瞬たりとも止まってはいけないのなら、それ以外の選択肢は(たぶん)ない。というのは、零細企業では、すべてをまかなう予算などどこにもないからだ。クーラーに数百万出せばすむという問題ではないのだ。
なのに、クーラーだけ?
第一、過去にクーラーが止まったことは数回あったが、サーバは止まらなかった。ユーザの誰も、自分のアクセスしているサーバが50度近くあることなど気がつかなかったはずである。
つまりクーラーが壊れても数時間は耐えるのだから、問題はいかに早く室温の異常上昇を検知するかということのほうがより重要だ。ドアと窓を開ければクーラーなしでもなんとか持ちこたえるかもしれない。真夏日のお昼過ぎにはこの限りではないが平日なら職員がたくさんいる。故障が起きるのが休日の可能性は30%以下だから、休日の真昼の可能性はもっと少ない。
いずれにしても、最初の答えに戻ってしまうのだが、ひとつの置き場所にこだわる必然性がどこにもない以上、零細企業らしくもっといろいろな選択肢を検討するべきだし、それ以上に、24時間止まってもほとんど影響がないシステムのなにをいったい心配する必要があるのか、ということである(毎年12月には定期点検で24時間止まる)。
なお、うちを零細企業と呼ぶことに違和感を覚える方は少なからず存在しそうなので、あくまでも話を単純にするための方便に過ぎないことをお断りしておく。
このエントリーの情報
栄養社会学 熱力学を知っていますか 2009/07/22 9:58 pm
ヒトというのは発熱体です。その意味で、暑い夏の寝苦しい夜にはそばにいるとけっこう鬱陶しい存在だったりもします。
もちろんそれはすやすや眠っている生まれて間もない自分の子にはまったく当てはまらない、というのも事実です(とりあえず小さいので発熱量も少ないから、って違うだろ、ヲイ)。
パソコンも発熱体です。冷房の弱い部屋に、大型のサーバと一緒にいればすぐにわかることですが、ノートブックのファンのところに指を当ててもすぐにわかります。暖かいと感じるというのはあなたの体表温度より高いということですから。
必然的に、冷房がなければサーバ室の温度はどんどん上昇します。それはサーバが動いているからです。部屋に荷物が積まれていたり狭かったりするからではありません。荷物は発熱しないからです。
常識的な判断をする限り、冷房のない部屋には、発熱の少ないサーバを導入することが理にかなっていると思われます。
たとえば、防音設備のない部屋にピアノやカラオケを入れるのは避けるのが懸命だということです。
ピアノやカラオケを入れて、音が漏れたらなんとかしろ、といわれたってどうにもなりません。発熱量に配慮しないサーバを次から次へと入れて、発熱を何とかしろ、というのも、同じ理屈(後から入れるのだからいくらでも考慮可能)ですが、避けられるはずの処置をなにもしないでゴネているだけですから、確信犯かただのXXです。
部屋にサーバ以外のものがなければいいはずだと、考えるのは勝手ですが、発熱しているのはサーバだけですから、ほかになにもなくてもサーバがある限り温度は上昇します。クーラーの冷風が循環しないほど物が詰め込まれていれば話は違ってくるでしょうが、現実には一番大事なサーバはクーラーの直下に置かれているのです。
窓を遮光するのは、太陽の直射日光が重大な問題である場合にそれを防ぐには効果的でしょう。でも部屋の温度は天井に降り注ぐ日光のせいかもしれません。クーラーが突然効かなくなるのは、屋上の室外機が高温になっている可能性のほうがはるかに高いでしょう。だとしたら、窓を塞いだら(ガラスの放熱効果が殺がれて)かえって温度は上がるかもしれません。
書斎にいると想像してみてください。冷房が効かない。最近入れた高性能のマシンのわけがない、だって高性能の最新マシンなんだから。そうか、書架の本がいけないわけか。
この本の山か。これを捨てればいいわけか。
わたしもしばらくの間ですが、実験科学というものをなりわいにしておりましたので、実験もせずに議論するのはばかげているとも思います。
いま書いたようなことは、ぜんぶ推測に過ぎません。そこで、これからしばらく実験をしてみるのが理にかなった行動と思いませんか。
といっても、今お読みのこのページには何の影響もありません。ここはとっくに外部サーバに移行しています。実験なのですから、本体に影響するようなことはできませんよ。
もちろんそれはすやすや眠っている生まれて間もない自分の子にはまったく当てはまらない、というのも事実です(とりあえず小さいので発熱量も少ないから、って違うだろ、ヲイ)。
パソコンも発熱体です。冷房の弱い部屋に、大型のサーバと一緒にいればすぐにわかることですが、ノートブックのファンのところに指を当ててもすぐにわかります。暖かいと感じるというのはあなたの体表温度より高いということですから。
必然的に、冷房がなければサーバ室の温度はどんどん上昇します。それはサーバが動いているからです。部屋に荷物が積まれていたり狭かったりするからではありません。荷物は発熱しないからです。
常識的な判断をする限り、冷房のない部屋には、発熱の少ないサーバを導入することが理にかなっていると思われます。
たとえば、防音設備のない部屋にピアノやカラオケを入れるのは避けるのが懸命だということです。
ピアノやカラオケを入れて、音が漏れたらなんとかしろ、といわれたってどうにもなりません。発熱量に配慮しないサーバを次から次へと入れて、発熱を何とかしろ、というのも、同じ理屈(後から入れるのだからいくらでも考慮可能)ですが、避けられるはずの処置をなにもしないでゴネているだけですから、確信犯かただのXXです。
部屋にサーバ以外のものがなければいいはずだと、考えるのは勝手ですが、発熱しているのはサーバだけですから、ほかになにもなくてもサーバがある限り温度は上昇します。クーラーの冷風が循環しないほど物が詰め込まれていれば話は違ってくるでしょうが、現実には一番大事なサーバはクーラーの直下に置かれているのです。
窓を遮光するのは、太陽の直射日光が重大な問題である場合にそれを防ぐには効果的でしょう。でも部屋の温度は天井に降り注ぐ日光のせいかもしれません。クーラーが突然効かなくなるのは、屋上の室外機が高温になっている可能性のほうがはるかに高いでしょう。だとしたら、窓を塞いだら(ガラスの放熱効果が殺がれて)かえって温度は上がるかもしれません。
書斎にいると想像してみてください。冷房が効かない。最近入れた高性能のマシンのわけがない、だって高性能の最新マシンなんだから。そうか、書架の本がいけないわけか。
この本の山か。これを捨てればいいわけか。
わたしもしばらくの間ですが、実験科学というものをなりわいにしておりましたので、実験もせずに議論するのはばかげているとも思います。
いま書いたようなことは、ぜんぶ推測に過ぎません。そこで、これからしばらく実験をしてみるのが理にかなった行動と思いませんか。
といっても、今お読みのこのページには何の影響もありません。ここはとっくに外部サーバに移行しています。実験なのですから、本体に影響するようなことはできませんよ。






